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21歳の女子大生

モラトリアムの延長に必死なごくごく一般的な大学生の日記

生産性のないことは悪なのか

どんな行動、時間に対しても、意味や目的を求める自分に気が付いた。

 

ネットを開けばメールの確認、アマゾンで必要な用品の注文を行い、テレビを見るときはダイエット効果があると言われるストレッチをして、通学通勤時間は睡眠、反省の時間にし、書店では学問関連、資格関連の本のみを漁り、車に乗れば時間節約と思い、自転車を使えば倹約と思い、歩けば健康のためと思い、お風呂ではダイエットのためのマッサージを行い、休日にはアルバイトを詰め込んでしまう、睡眠は記憶の整理のためと思う、、、

 

どんな小さな行動や時間にも目的を求め、有意義な目的を作られない行動や時間、例えば電車が遅延した時の待ち時間や、やる気が出ない時にボーっとする時間、眠るまでのお布団での時間、服を買いに行ったのに気に入る服がなかった日、しょーもないyoutubetwitterを見る時間、会員登録などの整理をする時間、去年買った流行おくれの雑誌を見つけた時(なんでこんなもんをかったのかと悔やむ)、、、の後にはしんどくなるくらいなぜか罪悪感を感じてしまう。

なんにもしない休日は休憩だ!と思い込むけれど、夕方には生きてる価値がないんじゃないかなんて思ってしまう。

 

じゃあ、がむしゃらに何か最近はやりの意識の高いことをしろよと思うのだけど、それはそれでしんどくて腰が上がらないのだ。

思い返すと、小さい頃の休日は寝転んで空を見ながら空想して、そのまま寝てしまい、起きたら夕ご飯なんてしょっちゅうあった。

その時は何も考えていなかったけれど、今はその思考自体が精神の成長のためだったのだと思ってしまう。

空を見る、目をつむるより、寝るか、本を読むか、携帯で調べ物をするか、漫画を読んだりする方が良い気がしている。だから、新聞の投稿でよく見る「最近は電車の中でみんな携帯を見ていて悲しい気分になる。昔は本を読む人や風景を眺める人がたくさんいたものだ。」という文に対しては、そう思うなら、君だけそうすればよいじゃないかと思う。何故、他人の行動も自分と同じにしてほしいと思うのだろうかと思ってしまう。とてもひねくれてしまっている。

あの頃に戻りたいまでは思わないけれど、なんとなく生き急いでいる気がしてしんどいのだ。何とかしたい。そこで

どうしてこんな思考回路になったのか考えてみることにする。

 

日々の状況を以下のように一般化する。

 

することがないから、何もしない。→1

すること(生産性あり→2、もしくはなし→3)があるのに、何もしない。

することがないのに、何か(生産性あり→4、もしくはなし→5)する。

することがあるから、何か(生産性あり→6、もしくはなし→7)する。

 

1、2、3の状態だと私は確実に苛立ちを感じる。何もしないことは悪なのだ。休憩という目的は睡眠と食事で使い果たされている。

5、7も焦りや不安を感じる。

つまり、充実感を感じるのは4、6だけだ。

それ自体が必要かどうかに関わらず、生産性のある行動だけが今の私の中で正義なのだ。

じゃあ、生産性のあることは何だろうか。それは有意義な目的があることだと思っている。だから、逆に有意義な目的があることは私の中では正義になれるのだ。

 なんだか、機械みたいだなと感じてしまった。

私、機械みたいだ。

 でも、機械には勝てない。機械の方が私よりもよほど優秀で、一度も間違えないし、効率よく長時間働き続ける。

じゃあ、私の存在意義は何だろうか、、、、

 

 

わかった。今の私は生きてていい価値が欲しいのだと。

もしかしたら、こういう人は案外多いのかもしれない。